企業戦士の”ハレ”の自由時間

よく遊び、よく働き、快適に暮らすための思考の記録

コロナ禍がもたらす変化について考える

 はじめまして。

 これが私のこのブログ第一号となります。

自分のビジネスや海外経験等を元に、仕事術、旅行、飲み歩き、スポーツ等の幅広いジャンルで、私独自の視点から、読者の皆さんのお役に立てる情報や考え方をお伝えして行きたいと思います。お付き合いの程、宜しくお願いします。

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それにしても、正に未曾有の危機だ。

 先ずは、この非常事態においても、危険を顧みず戦っている医療関係の皆様、そして、社会機能の維持のために日夜働く皆様に心より感謝の意を表したい。

今日、この初号を投稿するに当たり、やはり、新型コロナウイルスに関して書かない訳には行かないだろう。今回は、コロナ禍がもたらす変化と、その対応について書いてみたい。

 

■戦後最大の危機がやって来た

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これまで日本は実に様々な危機を経験して来た。

 

高度経済成長の後、70年代前半オイルショック、80年代後半のバブル崩壊、ITバブル崩壊リーマンショック等々。しかし、今回のコロナショックはこれらをはるかに凌ぐ戦後最大の危機であることは間違いない。

 

バブル崩壊リーマンショックも当然大きな危機であり、深刻な景気後退の引き金となった。これらは言わば信用収縮に伴い金融システムが崩壊して、金回りが悪くなったのが原因だ。なので、政府主導で金融システムを立て直し、市場に資金注入することで回復を見た。

 

今回の危機は、新型肺炎がもともとの原因。この感染拡大のために社会・経済機能を止めざるを得ない、社会や経済を支える人そのものの活動を制限せざるを得ない点において、これまでの危機と比較にはならないほどの深刻さを孕んでいる。人が社会・経済を動かす原点なのだから、当然だ。その意味で、深刻度はより深く、計り知れない。

 

会社員の出社がなくなり、学校も全て休校。こんな状態は戦時中、しかも、沖縄本島の戦いが始まった1945年4月から日本が全面降伏した同年8月までの戦時中の最終段階に1回あるのみだ。

 

■同時に、戦後最大の変化の時でもある

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私の在宅勤務が始まって、早や2か月半が経過した。

 

最初はどうなることかと思った。ただ、いざ在宅勤務を始めてみると、リモート会議システムを使って社内外のやり取りは何の問題も無くやれる。むしろ、その便利さとシステムの完成度に驚かされた。また、通勤時間や飲み会、ランチに出かける時間などの無駄が省かれる分、普段より効率良く仕事出来るのではないかと感じるほどだ。

 

学校の授業もタブレットを使ったリモート形式で行われる様になった。また、飲食店は残念ながら自粛要請下にあるが、Uber Eatsや出前館などの宅配サービスが急伸、amazon等のオンライン・ショッピングもこれまで以上のスピードで日々拡大し、皆が新たな利便性を改めて認識することとなった。

 

感染拡大を防止するためのソーシャル・ディスタンスなどの新しい行動概念も生まれ、既に世の中に定着している。人混みを作らない、人混みに入らないと言う行動様式も、当たり前として受け止められている。

 

この様に、新型コロナ禍をキッカケに様々な変化が社会や消費行動に生まれている。

 

元々、我々は、その時々の社会状況や環境によって、行動様式を変化させて来た。

80年代の米国の一部の大都市圏では、犯罪が多発し、夜間の外出は控えることが当たり前だった。現在でも、日本企業から多数の社員が海外拠点に駐在しているが、一部の新興国では、治安の面から外出時は全て運転手付きの車で移動、徒歩での移動は会社が禁じている。

環境に合わせた生活様式を選択せざるを得ないと言うことだ。

 

今回のコロナ禍で生じた変化は、全ては自らの感染と周囲への感染拡大を防止する観点に帰着する。言うなれば、我々にとっては、「新型肺炎」と言う常に意識せねばならない、新しい生活の前提が与えられた訳だ

 

■元に戻ることを前提にしてはいけない

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ここで注意しなければならないのは、コロナ禍で生まれたこうした変化の多くが、コロナ禍の終息後もそのまま継続し、これから全く新しい世界が訪れる点だ。

 

ポスト・コロナ、アフター・コロナ、ウイズ・コロナ、ニュー・ノーマル等、コロナ後に訪れる世界を表す言葉がマスコミやネット上で踊っている。

 

これらは何を意味するのだろうか。

 

こうした変化には、コロナ禍の時だけの一時的な変化と、その後も継続する変化に分けられる。

 

ビジネスの世界で言えば、在宅勤務によりテレビ会議が一般化する、通勤も不要となり、社員が集合して働くオフィスの在り方も変わる。客先や同僚と実際に会わずに仕事を進めるのが常態化すれば、会社員の移動も出張も以前とは変わって来る。

 

生活の面でも、オンライン・ショッピングや宅配サービスが更に普及する、ネットスーパーの拡大が主婦層の生活パターンを変える、家族がウチにいる時間が増えれば家族での過ごし方が変わる。さらに、消費行動にも変化が生まれる。

 

この様に、新しい行動様式がどんどん生まれ、代わりに、従来の非効率的なものが淘汰される。コロナ禍による波乱から、様々なものが整理され、また変化する。

 

幕末の黒船来航、明治維新、文明開化に匹敵する変化がこれから訪れると考えるべきだろう。

 

結局、コロナ加禍がもたらすのは一時的な変化では無く、もっと恒久的な大きな変化である。効率性や快適性をもたらす変化はそのまま継続して、これらの数多の変化が総体として社会に大きな変革をもたらす。この考え方は既にビジネスの世界では定説となっており、また、あらゆる社会活動においても言える。

 

■変化を受け入れ、自らも変わらなければ

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変化の時代には、淘汰されるものがあれば、新しいチャンスも訪れる。

従って、我々は変化を受け入れ、新しいチャンスを活かさねばならない。

これは、新しい時代にビジネスで成功するためにも、学業で成果を上げるためにも、あるいは、うまく(賢く、お得に、快適に)日々の生活を送る上でも、重要な鍵となる。

 

そのために必要なものは何か。

 

コロナ禍以前の状況を思い出すのが難しいぐらい、ここ数カ月に起こった出来事、変化は大きい。忘れてならないのは、我々の経済、社会はこの四半世紀、デジタル技術により長い間、継続的に変化して来ている点だ。デジタル技術がもたらす情報の大量処理、大量保管を背景に、社会、経済のありとあらゆる分野において効率化が進み、また、新しいビジネスやサービスが生まれて来ている。

 

例えば、小売りの世界では、デジタル技術を土台として、アマゾンや楽天等のオンライン・ショッピングが台頭した。その結果、小売りの主流であったショッピングセンターは、モノを売る場所から、モノを実際に触り体験し評価する場所、また、シネマ等のエンターテイメントや飲食の場所への変革を余儀なくされている。ショッピングセンターが、時間消費型(そこで過ごす時間に価値が有る)、体験型(そこで新しい体験をする)に変化して来ている。

 

この様に、コロナ禍の前から、元々、デジタル技術が引き起こすメガトレンドとも言える長いスパンの変化、進化がこれまで進んでおり、それをコロナ禍がさらに加速すると考えるのが正しい。

 

従って、我々がこれからの新しい変化の時代をうまく生きるためには、変化への対応力を身に付け、さらに、デジタル・リテラシー(デジタルを使いこなす能力)を高めることが必要なのだ。

 

これからのアフター・コロナに於いて、これを意識して実践して日々を暮らすのと、何も考えずに目の前に訪れる変化を見ているのでは、結果に大きな差異が生まれる。これは明らかだ。

 

■あと少しの辛抱、そして、その先には・・・

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現在、コロナ禍は第4コーナーを回った辺りだろうか。

 

国内での1日の新規感染者が数十人まで減り、39県で緊急事態宣言が解除された。

これらの地域では、飲食店や商業施設が順次再開され、社会・経済活動が徐々に元の姿を取り戻しつつある。

 

ただ、マスコミ等でも繰り返し報道されている通り、人々の活動が再開することにより、第2波、第3波の到来も懸念され、未だ一切の予断を許さない状況だ。

 

今後、新型コロナウイルスに適したワクチンが開発される、あるいは、集団免疫が獲得されるまでは、当面の間、現在の様な警戒が求められることになる。現在、世界中でワクチン開発が進んでおり、その数は100種類以上とも言われ、一部は大規模な臨床検査にも着手していると聞く。実用化まで早くても1年から1年半はかかるとも言われている。今後、ウイルスが変異して、再度猛威をふるうことも懸念される。

 

日本全土で緊急事態宣言が解除されたとしても、ウイルスとの闘いは続く。

 

この様な状況の中、我々には、変化や新しい行動様式を前提とした新しい働き方、暮らし方、学び方が求められる。この新しい時代に向けて、変化への対応力とデジタル・リテラシーをさらに高め、しっかり歩んで行きたいものだ。

 

過去幾多の危機をしたたかに乗り越えて来た我々にはそれが出来ると確信する。

今回の危機を越え、明るい未来に向けて、我々一人一人が逞しく前進して行けることを祈るばかりだ。