銀座の蕎麦屋に見るオトナの美学
■蕎麦屋の暖簾をくぐる時
「銀座の蕎麦屋で客先と呑めるようになれば、営業マンとして一人前や。」
新入社員の頃、上司に言われた一言を今でも思い出す。
それ以来、何かゆっくりオトナっぽく飲みたい時、僕は蕎麦屋を選ぶ。
蕎麦屋、それも銀座の蕎麦屋だ。
今でも蕎麦屋の暖簾をくぐるたびに背筋が伸びるような気がする。
気取らない、だけど、どこか凛としたものがある。
雑踏の中にも粋があり、独特の緊張感を漂わせるオトナの世界。
すき焼きや寿司ほど値段は高くない、でも、身近に非日常が味わえる不思議な空間。
それが銀座の蕎麦屋だ。
軽く一杯ひっかけるもよし、しっかり呑むのもよし。
界隈の小料理屋と違って早くから開いているので、ビフォア5からも呑み始められる。
シメの蕎麦で腹もそれなりに満たされる、しかも、胃がもたれない。
場所柄、二次会に流れるのも極めてスムースだ。
そこに集う面々も独特だ。
紬と羽織を粋に着こなす旦那衆、既にリタイヤしているのだろうがダーク系のスリーピース・スーツを端正に纏った老紳士、大企業の役員と思しき初老の紳士、この後いかにも銀座のクラブに流れると見える接待中の中年会社員、などなど。
上司に付き合わされているのだろうか、居心地の悪そうな若造もちらほら見られる。
こういう多彩な客層が混然一体となって、所謂、ご贔屓さんを形成している。
ボリュームゾーンは、脂の乗りきったオトナ達だ。
年輪を重ねたオトナ達が蕎麦を肴に杯を交す。
そこでは、社会的地位はもはや無用、一人の人間として、男同志の会話が似合う。
日々それぞれの立場で戦う男たちが集い、語り合い、独特の美学を漂わせている。
洒落っ気はないが、懐の深い、貫禄のある光景だ。
若造の僕にとって、それが銀座の蕎麦屋だった。
そんな渋いオトナの飲み方に憧れたものだ。
■酒と肴 ~注文の鉄則~
席に通される。
蕎麦屋のテーブルは概して狭い。とりわけ、若造に与えられるスペースはさらに狭い。
若造が座るのは、箸置き、薬味、取り皿が置かれた隅のほう。そう決まっているのだ。
人数が奇数の時はさらに悲惨だ。所謂、お誕生日席が若造の指定席となる。
若造は狭いスペースから身を乗り出して、取り皿を配り、空いた皿を片付け、料理が残った皿を整頓する。こうして、社会人の「テーブルマナー」を学ぶのだ。
注文の場面が訪れる。
まず、言うまでもなく、「取り敢えず、ビール」
これが無いと一日が終わらない。
ジョッキも良いが、ここはやはり瓶ビール。若造にとっては、お酌をするチャンス、上司や先輩と距離を縮める絶好のチャンスだ。
特別な日でも何でもないが、取り敢えず「乾杯!」、宴がスタートする。
料理の注文も若造の役目だ。
ただし、ここで「何食べましょうか?」と聞いてはいけない。
誰が決めたわけでもないが、蕎麦屋の酒の肴には暗黙の鉄則がある。これさえ頼んでおけばOKと言う定石メニュー、これを何も考えずに注文するのだ。決して複雑なルールでは無いが、不文律とも言えるルーティンだ。若造はいつも通りにやればいいだけだ。
本来は、好きなものを好きな順番で頼んで、好きなように食べれば良い。
だが、ここではそれは許されない。銀座の蕎麦屋だからだ。
先ず、だし巻き卵が運ばれる。出汁(だし)をウリにする蕎麦屋で、これを頼まない選択肢はない。ふっくらしていて、中身はジューシー。熱々もいいが、話に夢中で冷めてしまっただし巻きもまた格別だ。蕎麦屋の実力が試される一品。シンプルな料理だけに店の技量が曝け出される。
ほぼ同時に板わさが並ぶ。かまぼこ(板)にわさびをのせて、醤油をつけて頂く。
なぜ蕎麦屋で板わさが定番なのか。諸説あるが、第一にそれは、わさびに理由がある。
蕎麦の薬味としてのわさびをウリにしているから定番なのだ。言うなれば、「わさ」が主役で「板」は脇役。なかなか奥深いなぁと感じ入っている間もなく、蕎麦味噌、にしん甘露煮が次々と運ばれる。
間髪入れず、揚げ蕎麦の登場。蕎麦を素揚げにして、塩をふりかけただけのシンプルな肴だ。大抵は、これでもかと言うぐらい、てんこ盛りで供される。初めはアツアツで、食べても食べてもなかなか減らない。が、何故か途中から急にヘリが早くなる。まるで、年を重ねるごとに残された年月を数える人生のよう。そんな揚げ蕎麦にオトナ達は自分を重ね合わせるのかも知れない。
冷えたビールでゆるやかに離陸して、宴が水平飛行に入る頃、
「次、どうします?」
「焼酎にしよか。それでいい? ね?」
との極めて“軽い”やり取りを経て、焼酎タイムに突入する。
どうせみんな焼酎飲むんだから、わざわざ聞かなくてもいいのに?と一瞬このルーティンに腹立たしさを覚える。が、毎回繰り広げられるこのルーティンこそが極めて重要なのである。集団合議制に漬かり切った日本民族、自らの決定に責任を取らないオトナ達にとって、これは一つの生きる術なのだ。円滑な人間関係を築き、皆で仲良く前進するためにオトナ達が築き上げたメソッドなのだ。
ここでも再び蕎麦屋の不文律が登場する。
最近の焼酎ファンには芋派が多いだろう。だが、蕎麦屋で芋は「超」が付く御法度だ。
蕎麦屋で焼酎と言えば、それは蕎麦焼酎なのだ。これが鉄則。
さらに、飲み方も鉄則通り、「蕎麦湯割り」でなければならない。
蕎麦焼酎の蕎麦湯割り。エスプレッソをアメリカンで割るような不思議な感覚もある。
だが、これが銀座の蕎麦屋の巡航速度なのだ。
■若造の修羅場 ~仕事トークの道場?~
宴は順調に進む。
若造はオトナ達のグラスのチェックに余念がない。次々に蕎麦湯割りを作っては手渡す。
ただでさえ狭いテーブルの上に、焼酎ボトルと蕎麦湯ポットが並んで鎮座するので、若造の前のスペースはもう限界だ。
何回かの乱気流を経て、宴のトークは否応なしに盛り上がる。
この時間帯になると、オトナ達は、はっちゃけ始める。若造と同じレベルまで目線を下げて、ぶっちゃけトークが始まる。「で、お前はどう思うんだ?」
若造にとっては、仕事トークの道場、ぶつかり稽古の始まりだ。
酒の力を借りて、会社の不満、仕事の悩みをオトナ達にぶつけてみる。
昼間には出せない思いの丈を必死で伝える。ここでは、勝てない相手に議論を吹っ掛けることに意味が有る。当然、オトナ達の逆襲は凄まじく、若造はほどなくして撃沈する。
若造の青臭い理屈では、百戦錬磨のオトナ達は到底論破できない。それが世の常だ。
こうした掛け合いが何回か繰り返され、ある瞬間からオトナ達の態度が変わる。
若造が自らの非力を思い知り、涙目で白旗をあげる時だ。
そこから、オトナ達は、「お前もちょっとは成長したな」、「期待してるぞ」とエールを送り、若造を温かく包み込む。若造がオトナへの階段を一段上がる瞬間だ。
蕎麦湯割りのピッチは最高潮に達する。
もはや、そこに合理性や理論は要らない。感情であり、熱い思いが求められる。「理想」を語るのは構わない。だが、「夢」を語るのはやや相応しくない。もっと現実的で、実際的で、泥臭い会話こそが、蕎麦湯割りを一層美味にする。夢を語ってしまうと、肩ひじ張り過ぎて、一気に現実味が失せ、白けてしまう。
仕事や家庭で重い責任を背負ったコテコテのオトナ同士が、酒と肴を潤滑油に、本音をぶつけ合える場所。若造にとっての通過儀礼とも言える場面。そんな銀座の蕎麦屋に僕は畏敬の念をずっと感じて来た。
■最後に蕎麦 ~いよいよシメへ~
お代わりした板わさも片付き、肴はほぼたいらげた。
「蕎麦焼酎のボトルもう1本貰おうか」と言う声もどうやら出ない。
機は熟した。いよいよシメの蕎麦だ。ここへ来るまで本当に長かった。
ただ、まだ油断は出来ない。本日、三度目の不文律の登場だ。
最若手の僕は、メニューを開いて上司に差し向ける。
ざる蕎麦に始まり、数ページにわたり実に多くの種類があるものだ。若造にとって、天ざるなどはとても魅力的に映る。だが、オトナ達が注文するのは、決まって「せいろ」だ。
「せいろ」は「もり」と表現されることもある。まさに、冷たい蕎麦を盛っただけの、最もシンプルで質素なメニュー。一方、「ざる」は刻み海苔がかかっているが、海苔が蕎麦の風味を邪魔してしまう。蕎麦を純粋に正しく味わうには「せいろ」なのだ。ごまかしが利かない真剣勝負の逸品だ。
冷水で締められた艶やかな蕎麦が供される。
だが、焦ってはいけない。何も考えずに薬味を蕎麦つゆにぶち込むなど愚の骨頂だ。
この瞬間は、紅白で言えば大トリ。全身全霊をかけて蕎麦に向き合わねばならない。
先ず、蕎麦を少しつまんで口に含み、その風味を楽しむ。何ものにも邪魔されない風味、その奥にほんのりと蕎麦独特の甘みが漂う。次に、蕎麦つゆだけを少々味わう。出汁と醤油の絶妙なバランス、鼻に抜ける清々しい薫りを楽しむ。まるで、蕎麦屋をつつむ鰹出汁の柔らかな薫りを独り占めしているような錯覚に陥る。
さて、ここからが本番だ。
蕎麦の下の方だけをつゆに浸し、上品にかつ勢いよく吸い込む。冷たい蕎麦が喉の奥に当たるぐらいの気持ちで吸い込み、噛み足りないぐらいのタイミングで喉に流し込む。蕎麦の風味と出汁の味わいが重なり合い、喉に当たる触感が心地いい。まさに至福の瞬間。薬味は好みに応じてだが、少量を蕎麦にのせて味わうのが正しいそうだ。蕎麦つゆの味を濁さないからだ。
蕎麦に集中するひと時だが、幸せな時間は往々にして早く過ぎ去る。竹すだれに残った切れ端を丁寧につまみ上げ、蕎麦をきれいにたいらげる。本日のメインイベント無事終了。
満腹感が心地良い。
この後、忘れてはならない最後の楽しみがある。蕎麦湯だ。
今さらだが、蕎麦湯とは蕎麦を茹でた時の茹で汁だ。ポットから蕎麦湯を蕎麦ちょこに注ぐ。蕎麦つゆを蕎麦湯で割って頂くわけだ。今まで、蕎麦焼酎の蕎麦湯割りを続けていたにも関わらず、最後にまた蕎麦湯割りである。でも、これが無いと宴は締まらない。
■ほろ酔いの決意・・・
これで今日のアジェンダは全て終わりだ。
店員さんにお会計をお願いする。ほどなくして、伝票が卓の隅に置かれる。
相撲の立合い前の見合いとも思える、微妙な一瞬の沈黙が流れる。
オトナ達は別に払いたくない訳ではない。嫁はんの緊縮財政から今月お小遣いが足りない訳でもない。若造にチャンスをくれているのだ。スマートにお勘定を敢行する貴重なチャンスを。
と言うことで、結局、酔いが回ったオトナ達に代わって、会計をするのも若造の役割だ。領収書を貰い忘れてはいけない。そう言えば、宛名を「上様」と書く慣例も蕎麦屋で覚えたような気がする。
暖簾をくぐって外に出る。
ほろ酔いの火照り顔にあたる夜風が心地いい。爽やかな疲労感だ。これでウチに帰れば、寝るにはちょうどいい時間だ、と思ったその時、
「もう一軒行こか。」
オトナ達はいつもタフだ。だが、ここで怯んではいけない。体力で若造が負けるわけにはいかない。ここからが本当の勝負だ。
躊躇なく、「ぜひ行きましょう!」
明日の心配をしてもしょうがない。人生は一回っきり。やるしかない。
そう言えば、今を精一杯生きるって、誰の台詞だっけ・・・今それを考えてもしょうがないか。
蕎麦屋をあとにする。
今度は、若造がオトナ達を先導して、ゆっくりと夜の雑踏に消えて行く。
こうして、今日も銀座の夜は更けてゆく・・・
思えば、当時のオトナ達は厳しくも大きな憧れの存在だった。
早いもので、僕も気付けばその年代に差し掛かっている。
果たして僕は、若造があの頃感じたカッコいいオトナになれているだろうか。